苦と楽。どれを選んでも。楽をするための手っ取り早い手段?

2024年07月01日 08:54

楽をするための手っ取り早い手段



楽をしたい
(または幸せを味わいたい)

そして、どうせなら表面的でない深い楽(幸せ)を味わいたい。



そんなとき、手っ取り早い手段があります。



苦しむことです。

苦しむといっても単に息苦しいだとかそういうことの話でもなく、努力や苦労みたいなものもふくめたところのことです。



自然およびこの世の原理原則として、原因から結果が生じる。陰陽の法則などというものがあります。



それらからたどれば、それなりの努力をした結果、そのぶん楽な思い(幸せな思いとも表現できるかと)をすることができます。



表面的な目先の楽に流された場合、そのぶんあとで苦しみを味わうという経験は誰しもあるかもしれません。たとえば、怠惰な食生活が過ぎれば体調がわるくなる。とか、夏休みの宿題なんかわかりやすいでしょうか。楽してやらずにいたら、最終日に全てをやらねばならないという苦しみ(笑)



陰があれば陽があって逆もしかり。陰陽は循環している。、原因があればそれなりの結果があらわれる。といったところ。

陰陽循環(楽→苦→楽→苦→楽、、、。)

因果応報(いい原因→いい結果。わるい原因→わるい結果)



目先の楽に単純に飛びついてしまった場合、その内容にもよるかとはおもいますが、そのぶんの苦しみを味わうというかたちですが、これは、受け身的な苦しみの味わい方ともみれます。この仕組みを知ってる上でならいくらか違いますが、知らずにというならなおさら受け身的となりましょう。



(まぁ、原因によって結果が決まるので、ある程度の結果の方向性を狙って原因を選べる。となると、この場合の原因となったどんな楽を選ぶかで、結果の苦しみもある程度選ぶことはできるかとはおもいます。)



逆に、自然およびこの世に生きることには苦しみがあることを認め、受け入れ、苦しみを味わい、そのぶんの楽または幸せを味わう。この場合は、比べて能動的、主体的であるともみれます。

自らやる。とやらされる。では、感じ方が違うという経験はあるんではないかとおもいますが、そういうことですね。



自ら苦しみを選ぶ。か、苦しまされる。か。

この視点の違いはだいぶ違ってくる気がしますね。



くわえて、能動的な方は、苦しみを自らということなので、ある程度苦しみ方?を選ぶことができます。

そういった点でも、やらされるときとは感じ方が違うとおもいます。もし、同じ苦しみの内容だったとしても、自ら選ぶというところの違いですね。





これらのことは、最初の方で述べた陰陽や因果の仕組みからそうなっています。

もうそういうふうになっています。この世で生きる以上、それがもうそもそもあるわけなのですね(´-﹏-`;)



ということなので、

どうせなら

やらされる、苦しまされる

よりも自らやる、苦しみを選ぶ

という方が自分の感じ方としては楽なんじゃないかなとおもいます。?(笑)


ということですが(⁠ ⁠╹⁠▽⁠╹⁠ ⁠)
そういえば、はじめに、深い楽をするための手段とか言っておりましたが、楽の深さかどうかはやっぱよくわかりません。といいますが、その価値観が人それぞれでもあるから、なんともいいきれないというところでもありますが。

また、

本物の楽々(または幸せ)などと当店ではいっておりますが、
本物についてはたぶん条件が関係ないという可能性もあり、もはやそこに近いところを目指していくというだけにはなるかとおもいます(-_-;)
これについては、またべつな話にもなっていきますかね。



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楽々すぺーす 整体Lemon
群馬県前橋市にサロン

自分を使いこなし、目先の楽ではない本物の楽々を
当店では、個人のその時々の状態評価にくわえ、その人の思考傾向の観察分析や生まれつきの性質、体質も探っていきます。
本人がそれぞれの個性にあっていてかつ本人の生き方ややりたいことにも合わせた“自分の使い方”を習得するための場となります。

自分に気づく空間。

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