他人を変えることはできない。

2022年07月28日 21:24

他人に他人を変えることはできない。
人は自分が自分で勝手に変わるだけ。
できるとすれば本人が変わるきっかけやヒントになるくらいである。

無理に力ずくで変えたように思っても、それは表面的に動いただけのようなもので、根本的・本質的には変わっていない。取り繕いのごまかしである。


なんだか窮屈な感じの他人を変えてあげたいと、ついつい過干渉しようとしてしまう人もいるかもしれないが、
それは無理なことであるので、他人を変えようとする努力に疲れてしまうこともしばしば。無理なことをやるというのは、自分が自分でなくなるような。自分を見失ってしまう可能性があるのである。
自分を見失えば空回りし、さらに余計な干渉をしてしまうことで摩擦を起こすことも少なくはないのである。(まぁ、それがきっかけになることもあるのか?お互いに無理をさせるような状態にもなるので余計窮屈でつながりが狭窄?することもあれば、望ましい本質的な変化からは遠ざかるか?)

夫婦にしても親子にしてもその他関係にしても世の中で起きている軋轢や現代の人付き合い疲れ、みたいのはこういう無理の積み重ねや連鎖で生じているのではなかろうか。(便利道具が増え、自分でなく環境の方を変えるのに慣れた現代人の業ともいうべきか笑。まさに人は業が深すぎたのか。深めすぎたのか。あるいは深めさせられたのか。いや、本人の認識でできるのだから、誘導があったとしても自分が自分で認識したのであるな。)人付き合いの疎遠傾向もそれらを避けようという辺縁系反応的な防衛反応だとしたらまぁそうなのかもしれない。
まぁ、そんなことで、お互いにしんどくなるんなら、無理はしないほうがよいと思う。


ところで、他人を変えられない、自分が変わるだけというのはなぜなのか。
それは、この世は個人個人それぞれの本人の認識によってなっているためである。
他人の認識からみて、現象をもたらすことも当然可能であり、それを持って他人に干渉することはできる。ただ、それをもって、きっかけになれたということだけである。(まぁ、そこは高レベルなきっかけ者?になるかもだが)
それでも本人自身が認識を変えないと頑なであれば、他人目で変わっていたとしても本人は変わったことも認識できない。実際に起きた現象であっても本人の認識の仕方によっては認識できなくなるわけである。


 



 
あとは、
人それぞれで本人が変わっていく変わっていこうとするペースもそれぞれかも。
みてるだけで窮屈で余計な手出しをしたくなることもあるかもだが、辛抱して見守ってあげる?のも人のためである。与えすぎてきもというやつである。

他人側もその辺りの干渉の線引きがいい具合が難しいところでもあるが、変わるきっかけ、変わりはじめるきっかけ、変わりはじめた流れに勢いをつけてやったり、方向性を示して(提案して?)あげたり、というきっかけヒントアドバイスになれれば。
少なくとも他人が変えてやるというのなどはただのエゴの傲慢の押し付けであろう。


そのように思う。

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