症状には意味があります。そして、そもそも起きることには意味があります。
まず症状。例えば腰痛。これは表面的に考えると変な姿勢をしていたとか、腰を酷使したからその腰痛部位の筋肉が疲れたり、骨が歪んだり神経が刺激されたり、で症状がでていると見てしまうこともあるかと思います。
ですが、そういったことがあったとしても痛みが出ない人はいるわけです。そうなると他に深い原因があるのかもしれません。
その症状の原因や意味も人それぞれにはなりますが、例えば腰より上の方、胸椎や頚椎の方が固くなっていてそれをかばっていたけっか痛みが出てきたパターン。
胸椎や頚椎が固くなる原因もこれまた様々それぞれではありますが心臓の可動性などということもあります。
そうだとして、この話を続けますと、心臓はなぜ可動性が低下していたのかを考えます。その周囲の組織との関係などにより膜を介した制限がかかるということもあります。これはこれで原因としてそういう原因であったという意味として考えることもできます。これはより深掘りもできます。
また、心臓ということは、文字通りに心が関連するととらえることもできます。そうなれば心理面的にも何か抱えていることや引っ掛かっていたことがあったかもしれません。もし、引っ掛かっていたというニュアンスのことが心理に隠れていたならば、心臓の可動性制限と何かに引っかかるというのは関連性をみることができます。言葉遊びみたいなようですが不思議なもので核心をついてたりします。
そして、深くでは心臓だったとして、表に出ているのは腰痛です。腰痛があると、動きたくなくなるかもしれませんね。腰は動きの中心、要ですから動きたくなくなることも。これは、腰痛が出たというのは動きたくないということをあらわしている可能性を考えることができます。 いや、そんなことないし、動きたいけれど痛いんだ。と思っていても深層心理では動きたくないと矛盾したことを秘めていることは案外よくあるのです。
ここまで、心臓の制限や腰痛の意味を解釈してみました。そして、今回の例に挙げているお話では心臓→腰痛という流れのパターンです。ですので、それぞれで出た意味を統合して考えてみます。
そうすると、
「心理的に何か引っ掛かることがあり、本音でいえば動きたくないくらいである。」
こんな解釈の仕方も可能となるわけです。
このように症状には意味があります。
次に、冒頭に書いた通りに
そもそも起きることには意味があるということ。
症状でなくとも起きることには意味があります。
これも例えば、何度も同じような失敗をしてしまったり、同じような経験をしてしまったり、と
このような繰り返されるいやなことを経験したことある人はけっこういるかもしれません。
この繰り返し似たようなことが起こるということは、その原因が解決されてないからととらえることができます。
繰り返し起きるというのは、その原因につながるような何かに向き合えていないという意味がある。かもしれません。それに気づくためのサインかもしれません。
こんな感じで、そもそも起こっていることには意味があるということです。
症状や起きていることの意味を深く理解し、向き合い、これを解決、解消することは、本質的な治癒等につながることが期待できます。これができたとき、施術や治療などといったものは必要がないと思われます。
施術等の働きかけというのは、そういったことの気づきを促したりきっかけづくりだったり程度にしか過ぎないのです。
結果には原因がある
症状や起きていることは結果に位置することなので、
それには原因、意味があるのです。