ひたすら現実的でいること
ひたすら現実的にいること。これはある意味では、つらさを伴うこともあるかもしれないけれど、長期的にみれば、実は本物の楽を味わうための最適な手談であるとも思います。
そもそも生きているのは現実ですので、それはやはりそうなのかもしれません。
そして、人の心理の反応として、現実を受け入れがたい。そんなような反応をしてしまうことは起きやすいのですね。
それがまた現実的にいることの難易度を高めていることも。
だけれども、その現実的に居ることのつらさくるしさのようなもの。これはおそらくですが、その現実を受け入れる認めるというまでに生じる、それらへの拒絶との反発というかそれの摩擦によるとも感じることがあります。
受け入れない、認めないとするとき、それはつらさ苦しさにつながる可能性があるのかもしれません。
そして、人体や心身というのは、先ほど述べた通り現実に生きているわけで、潜在的には現実的にいることが自然であるようになっていると思います。
その現実との不一致があるとき、潜在的な心身と表面的な心理との不一致も生じる可能性があります。
この不一致を教えてくれるのが各種の症状であるともみていくことができるわけです。
ですので、症状解決への有力な糸口として、
ひたすら現実的にいること
はよさげです。
くわえて、人間には無意識的な習慣が身につくようになっています。
それは、動作的な行動だけでなく、心理の動き方や物事の捉え方、考え方にも関わります。
無意識のクセというやつでしょうか。
これがあるため、無意識に現実をみないように、とか無意識に回避しようとしてしまうようになっていることもあります。
これは無意識なためなかなか認知しにくいかもしれません。
ですが、無意識なことであってもそれらから起きた行動など。そして、その行動から生じてくる結果は現実にあらわれてきます。
結果には原因がつきものですから、無意識な原因からも現実的な結果が出てくるわけであり、その結果も原因に応じたそれなりのことになるという。
症状は結果でありますので、
先ほどの症状が教えてくれるというのもそのひとつであり、
そう考えてみると、症状をただおさえこむのではなく、その症状の意味を考えていくことは、現実的にいるための手がかりとなりそうです💡
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昨日の小話でいっていた
整体LemonのLemon。
これは英語のスラング的なとこの意味も含んで名付けました。
不良品だとか欠陥品という意味を持つそうです。
例えば、car is lemon みたいにすると、その車は欠陥品です。みたいになるようです。
人は不完全な存在であり、ちょうど開業する頃に、自分を含めた人という存在にがっかりしていた経験を体感していたために、自分へのいましめも込めて、この単語を利用させてもらった。というのが、命名の理由のひとつです✨(笑)
スッキリ、サッパリ、フレッシュ、リフレッシュな裏側に
そんな皮肉?も込めとったわけであります(笑)