人は、環境に左右される
まずこれ。
人には環境に適応する能力がある。と。
で、
また別の話で
自分がついついこれが正論、正当だとおもいこんでいること
そしてこれを周囲へもおしつけてしまうこと
あるでありましょうか?
これを自覚できずやってるうちはそのやってる本人はそれで満足するかもですが、
自覚しており変えたいとおもっているひと
だけれど、きづくとついついおしつけていて
あとあとになって後悔するというひと
そんな方はその葛藤が重くのしかかることがある
変えるしゅだんのひとつに
全く反対をぶつけるということがある
自身の正しいとおもうのと反対のこと、正しいという観念がつよくあるほど、それの反対はその人にとっては悪いことかもしれない
が、それをあえてやる
自らそれを選択してやる
陰陽バランスでこの世はなりたっており、
それは人の心身も例外ではないため、
これで中和される可能性はある?ない?
わからないがしゅだんのひとつとしてはある。
ただ、苦痛を伴う場合もあるため、無理は禁物な手段であるともいえる。
また、ぶつけると表現したがその感覚で功を奏する人もいるかもしれないし、じんわり馴染ませるイメージなどの方が合う人もいるかもしれない。
そして、強い固定観念を意志力のみで変えていくのはこれまたただいな負荷がかかることも。または変えられないことも。
そこで、最初のはなしをくわえる
人は環境によくもわるくも適応できる能力をそなえる
ならば、その正しいと反対の環境をつくるんである
そして、環境が新たに設定されたとき、人は勝手に適応していく。よくもわるくも。ヘンカがおき始める。それは進化となる可能性も多分に秘める。